春告げ抹茶ホイップ

AIコーディング時代の自分で手を動かさないことによる真の理解から遠ざかってる感

いくつか昔を懐かしむツイートをした。

久々に当時の怒りを思い出したが、しかし思えば AI 時代になってコードベースに対するソリッドな理解を手放すことも増えたなあという微妙な心持ちになる。

AI でバイブコーディングで何かを作るのは、もはや後で見ているだけで自分で動いて何かを成し遂げていない感覚がある。 そして自分で手を動かしてないのにわかった気になっているやつのことは、頭だけで理屈を理解していれば十分語れるんだと思っているやつのことは相当嫌いなタイプの人間だったはずなのになあという気はする。

上記ツイートのようなわかった気になっているだけで本当の知識を持っていないだけの詐欺師みたいなやつは大っ嫌いだったはずなのになあ。 曇りなき眼で対等の立場だと信じて、自分はその問題を十分知っているし相手の方が専門ではあるから敬意を持っているように振る舞うけど、というようなナチュラル失礼な態度を本気で嫌っていたし、そういう連中のような中途半端な理解ではなくソリッドな理解をすることこそ良しとしていたはずなのだけど。

あるいはエンジニアリングは上流工程と下流工程に分けれると信じているような人たちとか。 手を動かして作らないとわからないことがあり、手を動かしながら作るからこそアーキテクチャにも理解が及んでいくということを認めたがらず、手を動かさずに理解だけできると信じている人間のことは、そういう手を動かして得られるソリッドな理解を軽視する人間は本当に嫌いだったはずなのに。

手を動かして作るところまでやらないと理解できない詳細があるはずで、それをせずになんとなく全体がどういうものかの知識を持っているというだけですべてを理解して対等であるつもりで話す頭でっかちが全く好きではなかったはずなのに。


AI によって自分で手を動かしてコードを書かなくてもよくなったが、そうやって自分で手を動かす側から離れていくということが、自分で手を動かすことの良さを知っている身からすると微妙な心持ちになる。

というか自分で手を動かさないで、その程度の理解をちゃんと手を動かした人の理解と質が違うということも知らずに、その程度の理解で何かを語ったり対等の土俵だと言わんばかりの態度の人間のシャバさを知っていると、そういう手を動かさない人間と同類になることに受け入れ難さがあってなんだかなあという気分になる。


まあ、AI で開発するのは便利だし楽しいから使っていくけどね。

AI での開発は便利で楽しいと思っているけれども、その一方で何か微妙なモヤモヤした心持ちがずっとあったけど、こういうようなことなんだろうなあと整理されつつある今日この頃。

もう少し趣味開発ではコードの中身をちゃんと読んで理解する開発とかをやっていって、理解を手放さないで開発を進めるという体験も大事にしていっても良いかもしれないわね。

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