春告げ抹茶ホイップ

日記 2026-10-04 / 紅茶日和

今日は紅茶を久々に淹れて飲んだ。

紅茶は電気ケトルで沸かした熱々のお湯で作るので当然ながら淹れたては非常に熱々になる。 私は子供の頃に「スーパー猫舌くん 2 号」の名前を欲しいままにした大変な猫舌であり、さらにあったかい飲み物でポカポカになるのは基本的に避けたい非常に暑がりの人間である。 外側が熱くならないという理由で使っているサーモスのマグカップは、その性質上断熱性が高く淹れた紅茶も全く冷めてくれない。 そのため夏が終わり涼しくなり部屋の気温が下がってこないと私は紅茶を飲むことができない。 夏の間は紅茶を淹れることなく過ごしていた。 そろそろ外も涼しくなってきたしようやく紅茶を飲めるようになってくる頃合である。

私は紅茶に特にこれといってこだわりがあるわけではない。 適当にカルディで買った安いティーバッグを適当に淹れて飲んでいる。 どうでもよいが、ティーバッグと表記する際にいつもティーバックとどっちがどっちだったか悩んでしまう。 誤爆すると結構なミスなので気を遣わねばならない。 淹れる時間は長すぎると苦いというか渋いというか微妙に好みじゃなくなるので面倒だけど時間だけは計って淹れているが、本当にそれ以上のこだわりは特にない。

子供の頃は紅茶は苦手だった。 甘いような香りがするのに全く甘くない飲み物であることがどうにも気に食わなかったので、飲み物は基本的に水か麦茶で生活していた。 あるいはちゃんと甘いオレンジジュース。 今は紅茶を自分で淹れて飲むようになったので、大人になって味覚が成長したのかもしれない。

ちなみに大人になった今、紅茶を飲むときは死ぬほど砂糖を入れて飲んでいる。 (しかも小癪にもカロリーを気にしてパルスイートのカロリーオフなものを使っている) さらにミルクポーションも複数入れて飲んでいる。 味覚が大人になったのではなく、甘くして飲むことを覚えただけかもしれない。

紅茶を入れ終わった後のティーバッグを捨てるときにいつも脳裏に過ぎるのが子供の頃に見ていたテレビのおじゃる丸に出てきた「うすいさちよ」という人物の存在である。 この人物はティーバッグを何度も使って薄くなった紅茶を飲んでおり、部屋には紅茶のティーバッグが干してあったという記憶がうっすら残っている。 それ以上の情報はあまり覚えていないのだが、謎に「うすいさちよ、28 歳独身」という文字列が頭の中の記憶領域に無駄に刻まれている。 頭の中の記憶容量にはこうした特に覚えておく必要もない無駄な文字列が刻み込まれてしまっている領域がある。 墾田永年私財法とかマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝とかと同じジャンルな文字列なんじゃないかなあ。

この「うすいさちよ」という名前、たぶん幸が薄いという慣用句から来ているのだと思うのだけど、おじゃる丸を NHK の 3 ちゃんねるのアニメで見ていた頃はそのことを全く意識していなかったように思う。 当時の私は幸が薄いという慣用句を知らなかったのだと思う。 まあ低学年の小学生がなかなか出会う概念ではない気がする。 私が「薄幸そうだ」といった状態を示す概念を手に入れ理解したのは一体いつだったのだろう? 知らないうちにいつの間にか知っている概念の 1 つな気がしている。

知らないうちに概念を知っていたり、別に覚えておく必要もない文字列がまるっと残っていたり、記憶というものは不思議なものである。 紅茶を飲むときには毎回こんなどうでもよいことを考えて飲んでいるので、そうやって何度も思い返すせいでかえって記憶に定着しているのかもしれない。 最近新しいことを覚えるのが苦手になってる気がするが、こういうどうでもよい記憶のほうは残り続けるのだからなかなかままならないものだ。

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