春告げ抹茶ホイップ

無知をさらすことを躊躇したほうが良いか

ここ最近、自分が無知であることをさらす記事をこのサイトに公開することが多かった。

例を挙げると、芸術や創作について既存の議論を何も知らないということを書いた記事や[1]、政治について何も知らないことを述べる記事など[2]

この辺り、まあ知ってもいないのに知ったかぶりするのはまあ違うだろうと思う。 一方で何もかも知りませんと宣言するのも開き直っているようでどうなんだという気がしないではない。 場合によっては知ったふりをしつつ知らなかったことは裏で必死に回収するとかしたほうが知識が身につくのは早いのかも知れん。

ものを知らない人間であるというのは、知らないが故に他者に対して差別的な発言をしてしまったり他の人を傷つけてしまうこともある。 そういう人間である可能性もあるわけで、知らないことを肯定するというのはそういう他者を傷つけるようなことに対して開き直ってしまうような行為でもあり、全く褒められた行為でもないと思う。

一方で、何かを学ぶためには何かを知らないことを認識し認めないといけないとは思う。 私が無知であるという自認を記事に書くのは、そういう今後改めたいという思いの表れのつもりではある。

しかし、私の無知を記事に書くという行為が、自分の態度を改め学び始めるための自己認識だったか、それとも開き直りだったかというのは、その後本当に学び始めたかどうかでしか評価されないと思う。 つまり、私は今後ちゃんと学んでいかなければ無知であることに開き直った残念な人間になってしまうとも言える。

とりあえず先日上げた「政治学補訂版」は読み始めたところではあるけれども。 読むべき本が死ぬほどあるので、まあ少しずつ進めていくしかないが、頑張っていこう。

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References

  1. 1. 知識の量と、リスペクト vs 好きにやらせろの関係
  2. 2. 自分の政治や歴史や思想との付き合い方を変えたい話