主観的に楽しむだけではなく周辺の議論を知ることも重要かも
以前の記事で芸術や創作において、自身が楽しんでいるならそれが客観的に見て自由かどうかはどうして重要なのだろうか?という話を書いた[1]。 また、芸術や創作を楽しむのに過去の事例や議論や思想などを学ぶ必要性がどこにあるのだろうか?という疑問を持っていることも上記記事に疑問として書いた。 自分が楽しんで創作をするなら「昔のことを知らないといけない」という態度は必ずしも必要ないのではないかという話をした。
それに直接答えるわけではないが、以下の Web 上の記事がだいぶ前に X で流れてきたのを読んで、創作をするに当たって歴史や思想や周辺の議論を学ぶことは重要ではあるなあと感じたため、その感想をメモしておく。 やはり知らないで楽しいからそれでいいじゃん、という態度なのはあまり良くないかも。
上記記事について適当にメモしておく。 適当なメモなので、正しい内容は上記記事に目を通してほしい。
ヘタリアという作品があるらしい。 国を擬人化してわちゃわちゃするものだけど、国を単純化して擬人化してしまう態度にはまあなかなか議論が起こる作品ではあるようだ。
国同士の関係には戦争や植民地支配といった過去の関係などセンシティブな問題があるはず。 さらに、国を擬人化するのは国の中の複雑さも多い隠してしまう。 日本にもアイヌや琉球や在日など様々な人がいるが、それらが擬人化では切り落とされている。 他の多民族国家についても同じような問題があり、こういうステレオタイプでその国を語るのは差別的なものだろう。
愛国ポルノとか感動ポルノ的な拡張的な言い方をすれば、ヘタリアはエスニックポルノといえる。 国に対するステレオタイプに基づいてキャラ同士の関係を書き出してそこを愛でている。 そして、ヘタリアを楽しんでいる人にはこれがポルノだと認識していない人が一定の規模で存在しているのが危険である。 人間の社会から広義のポルノは消えることはないので、ポルノをポルノと自覚して扱うことでポルノの可能性を肯定できる可能性もある。
ヘタリアに悪い側面があるということを認めた上でその悪さも引き受けなければいけない。 ただの開き直りではなく、作品やそれを楽しむ自分の中の悪を引き受けるという話。 作者の問題に還元することも問題ある態度であり、やはり作者ではなく自分自身でも引き受ける必要がある。
よくない面がある作品だけど、それに感動を覚えてしまった、と正直に認めるしかないだろう。 そういうポルノ的な良くない面がある作品からも感動してしまった、そういう「ポルノで育ってしまた私たち」を認めることが、単に「ヘタリア」が差別的かとか著者の責任が、とかそういうことよりもっと大事なのでは。
ちょっと前に X 上で流行った国旗娘というのもこのヘタリアと全くおんなじ問題を持っているよなあとは思った。
なにも悪びれなく良いものとして楽しんでいる人がいるけど、なかなか危うい創作だよなあと思って見ていたが、まあその危うさもこの記事で述べられていたようなことだなあ。
感想
物事を知らない、ということはやっぱり時と場合によってはよくないことになるなあという感想を持った。 「楽しければそれで良いじゃん」的な態度で創作などに取り組むのは非常に差別的な危うい表現につながる可能性がある、というのはそうだろうと思う。 あまり歴史や文化を知らないまま、自分が好きだと思ったからというので雑にやっていくのは場合によっては非常によくない表現になるかもしれない。
また、現実の歴史を知ることは過去にあった良くないことも知るということである。 何も知らないで潔癖症になっている人も見かけるが、世の中が単純ではないということを知るためにも歴史を知ると良さそうだ。 例えば戦争由来のものを使いたくない人たちというのが一定数いる。 この人達は、そもそも歴史を知らないからこういう事を言っているわけだが。 世の中の医療とかコンピュータとか様々な技術が戦争由来だったりする事を彼らは知らなかったりする。 戦争由来の技術が多数あるということは知っておくべきことなのだと思う。 そしてそういうことを知ると、世の中は一枚岩な単純なものではないということがわかるのだろう。
知識を得ることで誰かを傷つけうる可能性を知ると同時に、そういう傷つけうる表現は全部避けるべきだ、という極端に走るのも違うだろうなあという意味で、この記事の「良くない表現で感動してしまう自分を引き受ける」という態度については納得できる。
色々と知識を知ることで誰かを傷つける可能性に思いを馳せられるということはあるが。 まあ一方で誰も傷つけない表現しかない世界が素晴らしいのかというのも別の問題としてあり。 そういう意味であまりに怯えすぎてもいけないだろう。 ポルノをポルノと認識した上で悪い部分があるというのを引き受けた上で開き直ることなく、その上で楽しむというのが 1 つのありようかもしれない。 表現が人を傷つけてしまう可能性に、そういう考え方に萎縮しすぎてもよくない気もしないではない。
人を傷つける可能性があることを知った上である種のポルノ的な側面として必ずしも大っぴらに楽しんで良いものとは限らないということを認識した上でそれらの良くない面を引き受けた上で楽しむのか、それとも自分の表現がなにかそういう負の面があることをなにも知らずに無条件に良いものだとして楽しむのかでは話が違うだろう。 歴史や周辺の議論について知ることはやはり大事だし、知ろうとせずに自分が好きなものをなにも疑いなく楽しむ態度は場合によっては良い態度とは言えないのだろう。 そういう意味で、色々知るというのは大事だなあと思う。
知った上でどうするかはまた別の話で、知ったからそういう人を傷つける表現を禁止しようというのもまた極端すぎる態度だと思うし。 自分の表現はなにも問題ないと信じるのも、問題があるからやめるべきだと感じるのも両極端であり、その間で良い感じの落としどころを見つけながらやっていく必要があるのだろうなあ。
そしてそのためには、まずは歴史や思想などの議論などは知らないとそもそも中間的な落とし所見つけようがないので、やはりいろいろ知らないとなあという感じ。 芸術や表現、歴史や思想などなど、いろいろと知るべきことがある。 私は技術一辺倒でまるで思想や歴史に興味を持たずに生きてきてしまったので、今後そういう部分にも興味を持っていろいろ知識をつけていきたいところだなあ。