読書メモ 『政治学〔補訂版〕』第1章
「政治学補訂版」を読んでいく。 学会で 1 週間お出かけするなどがあって、前回読んでから間が空いてしまった。
前回[1]に引き続き第 1 章を読んだので、その時点での感想をメモしておく。
第1章
内容メモ
この章は政治の対立の軸について整理する章だった。
「保守」「進歩」
「保守的」か「進歩的」かという尺度がある。 「進歩的」に変えて「革新的」という場合もある。 また、「右」か「左」かというふうに色分けすることもある。 あるいは「保守的」か「リベラル」かと色分けすることもある。 政治的立場を 1 つの尺度に位置づけるのは乱暴な気もするが。。。
日本では 1950 年代初頭から 80 年代まで、保守 - 進歩の重要な政策争点は、「憲法改正問題」「防衛問題」「天皇制」「労働者のストライキ」だった。 特に、自衛隊と日米安全保障条約に対する態度が、保守 - 進歩の態度を最も強く規定してきた。 この防衛・外交政策の保守 - 進歩という対立軸が戦後の日本の主要な政策対立軸であり、その対立軸上に自由民主党から社会党(現在の社民党)・共産党までの各政党が位置づけられて、人々は自分の立場に近い政党を支持してきた。
また、上記に加えて西ヨーロッパやアメリカでは「政府は、民間にできることはできるだけ民間に任せて、経済に介入すべきではないと思うか」「政府はお金持ちから税金を多くとって、貧しい恵まれない人のために使うべきだと思うか、それとも貧しい人もできる限り自分の力で生きるべきと思うか」というあたりが重要争点だったらしい。 これらの国では外交政策や防衛政策には大きな政治対立はなく合意が存在していた。 しかし、これら経済政策は日本では保守と進歩を分ける争点とはなってこなかった。 もちろん、社会福祉を手厚くするか減税を行うかについて人々の意見は分かれていたが、これは保守 - 進歩の対立軸とは重なっていなかった。
そのほか、「自然環境を守るために便利な生活を多少犠牲にすべきだろうか」「政治をプロの政治家の手から、アマチュアの市民に取り戻すべきか」といった問題もある。 環境問題は 1960 年代後半からの高度経済成長とそれに付随する公害問題・環境問題に対して、当時の社会党や共産党などの「進歩的」政党が自民党政府批判の格好の材料とした。 しかし、それでもこの争点が保守と進歩を分かつ基本的対立軸として防衛問題に取って代わることはなかったようだ。
冷戦の終結とソ連の崩壊によって、戦後日本の保守と進歩の対立軸を防衛と外交の問題が規定する、という構造を大きく変容させた。 今では保守派の中でも、日米安全保障条約を維持すべきか、対米自立を目指すべきかで意見が分かれる。 進歩派内でも、自衛隊の国際貢献問題などを踏まえつつ、憲法改正を一定限度で認めるべきだという意見も出てきたようだ。
さらに、その後は自己責任原則、市場競争原理を重視して小さい政府を志向するべきか、弱者保護のために政府の規制や介入を維持するべきと考えるかの対立が注目を集めるようになってきた。 規制緩和、民営化といった問題が争点として重要になってきた。
「外国人労働者は労働条件悪化や治安問題のために規制すべきか」「結婚後も旧姓を使えるような法律を制定すべきか」「インターネット上では、国家や企業に関する機密情報や違法な情報が自由に公刊されているが、これは取り締まるべきか」など、これらの質問は近年争点化している問題である。 これらの問題が冷戦後の日本の重要な争点となる可能性はありうる。
「右」「左」
「右」と「左」について。 現代日本の場合、自民とは民主党より「右」で共産党は民主党より「左」に位置づけられるという感じ。 この意味では「保守的」「進歩的」とほぼ同様の分類。 しかし、この「右」と「左」の中身は時代や国によってかなり大きな違いがある。
冷戦時代には左とは政治的には人民民主主義を採用する東側陣営の社会主義であり、右とは政治的には自由民主主義を採用する西側陣営の資本主義のことだった。 もちろん社会主義も資本主義も常に一枚岩であったわけではなく、内部に対立があったりはしたが、ソ連とアメリカという 2 大国がそれぞれのイデオロギーを代表し対立していたので、良くも悪くも「左」と「右」の対立軸はわかりやすかった。
しかし、歴史的には「右」と「左」を「資本主義」「社会主義」に代表させるのには無理がある。 もともとこの表現はフランス革命後の議会で議長から見て右側に穏健派、左側に急進派が位置したことに由来する。 旧体制の漸進的な改革か、徹底した革命の遂行かという路線の対立であり、「右」は過去の体制に何らかのこだわりを持つ立場、「左」じゃ徹底的な変革を目指す立場であると整理できる。 その意味で「保守」と「進歩(革新)」という組み合わせと重なる。
日本でも、日本国憲法に代表される敗戦後の新体制を擁護し、その精神を徹底しようという政党が「左」、憲法を改正しむしろ敗戦前の体制への復帰を模索する勢力が「右」としてイメージされることがあった。 これは社会主義対資本主義という意味の左右とはぴったり重ならない。
冷戦が終結し資本主義か社会主義かという選択肢がリアリティを喪失した現在では、資本主義に代わる経済システムは構想するのが難しくなり、政治体制についても自由民主主義が世界各国に浸透しつつある。 この場合、単純な社会主義や資本主義への近さの 1 次元で左右で選ぶのではなく、個別の争点ごとに 1 つ 1 つ判断を迫るというのが現代の状態である。
現代先進国の政治的争点
より詳しく政治的争点を整理しながら見ていく。
1 つ目は経済政策をめぐる意見の対立。
政府がどの産業のどの部門にどれだけの財源をどのような手段で投入するべきか。 また、財政赤字削減を優先するか、経済成長のために国籍増発を是とするか。 日本でも、財政出動か財政再建か、公的資金の投入による企業救済は是か非か、これまで国が運営してきた事業を民営化すべきか否か、という点が論点になってきた。
経済も産業も情報も文化もグローバル化の波にさらされる中で、国内の利害調整だけでは経済政策を決定できないという場合もある。 新興経済諸国からの安価な製品の流入、企業の海外移転による雇用の縮小、外国人労働者の積極受け入れの要請にどう対処するか。 自由貿易協定のような自由化政策を推進すべきか。 より一層グローバル化を進展させるべきか、それに異議を申し立てるかという対立軸がある。
2 つめは福祉政策をめぐる意見の対立。
大企業優先の経済政策を批判し、福祉サービスを充実させるべきであるという主張があったり、一方で過剰な福祉政策は高税率・公社会保障負担を強い、経済のダイナミクスを失わせるという反対意見もある。 社会保障制度をどう構築して、その財源をどこに求め、その給付の水準をどのようにするかというのはホットな話題になる。
この経済政策や福祉政策をめぐる個々の争点は、政府が市場経済に介入する範囲を大きく取るか小さく取るかという基本的な対立軸へと収斂する。 「大きな政府」と「小さな政府」をめぐる論争でもある。
第二次大戦後、ヨーロッパでは社会民主主義政党、アメリカでは民主党が中心となって福祉国家建設が推進されてきたが、1980 年代以降「新保守」「ネオリベラル」(新自由主義)といった名称で呼ばれる勢力が、市場の自律性を回復するために政府の介入をできる限り少なくすることを主張し始めた。 イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権によって大胆な新保守主義的改革が行われ、日本でも自民党中曾根康弘政権時代にこのような改革が部分的に見られたり、小泉純一郎政権の路線もこの方向に向けた試みだった。
一方で、その徹底した新保守主義改革が行われた諸国では 1990 年代以降、これに対する見直しや修正の機運も高まる。 ブレア首相の下で政権を奪取したイギリス労働党政権など。 失業者救済の制度を充実させるといった社会的な「セーフティネット」を設けることが、かえって市場における公正で活発な競争を促すという論理が、現在の社会民主主義政党の主張になっている。 日本では特に民主党がこの発想に近い。
ここまでが経済や富の分配などの問題だった。 しかし、政治的対立はそればかりではない。 ほかには安全保障をめぐる論争がある。
軍備の規模、同盟のあり方、外交方針といった一国の安全保障をめぐる諸問題はしばしば政治的な争点となる。 特に日本では、自衛隊や日米安全保障条約、さらに日本国憲法第 9 条との関係について国民の間で意見が大きく分かれており、それが保革を分かつ最も大きな対立軸だった。
アメリカのイラク攻撃に対する支持・不支持、国連平和維持活動(PKO)への自衛隊の参加、沖縄の米軍基地問題、周辺事態への対処の仕方など。
これらの安全保障の問題を考える際に、ナショナリズムの噴出という問題も起こる。 ナショナルな一体性を強化することを目指す政治運動とかが起こってくる。 グローバル化の急激な進展が、これらに反発するもののナショナリズムを刺激したという側面がある。 日本でも、公立学校における「日の丸・君が代」の取り扱いや歴史教科書の記述の論争に見られるように、ナショナルな一体性を強化しようとする論者とそれを批判する論者の間に対立がある。
また、宗教の政治に対する影響がある。 アメリカの 9.11 テロ事件やパレスチナ紛争など。 こうした事件の背後には経済的格差をはじめとした富豪的な原因も存在するが、それはそれとして宗教勢力が政治的対立の一部を構成することもある。 さらに、場合によってはその宗教がナショナリズムと結びついて 1 つの政治勢力となる場合がある。 イスラームの例や、アメリカの宗教右翼が組織化を進め共和党の重要支持母体になったり、日本でオウム真理教問題のようにカルト教団の活動の活発化にどう対応するかという話。
さらに日本では首相や閣僚の靖国神社参拝問題に見られるように、政教分離の問題や、近隣諸国への戦争責任の問題などなど、宗教が政治争点となってきた。
宗教回帰やナショナリズム復興は、伝統的価値への復帰を目指す文化的保守主義の動きではあるが、こういう保守主義が、経済政策上の新保守主義と直接関係すると言えるかは微妙なところである。
また、文化的保守主義と鋭く対立する文化的ラディカリズムと呼べる動きもある。 これは多数派の支配的文化が、少数派の社会進出や社会的発言力を封じ込めてきたことに対して異議を行う人たち。
ジェンダーや家族のあり方に対する異議申し立ては 1 つの柱となっている。 法的には男性と同等の権利を獲得したにもかかわらず、なぜ女性の社会進出が遅れるのか。 職場や学校でのセクシャルハラスメントや家庭内暴力にどう対処するか。 性別役割分業的なものやジェンダーバイアスをどう克服するか。 男性中心の文化の批判が行われている。 また、夫婦別姓制度導入の是非なども行われているのもその一部かもしれない。 女性が職場や大学、さらには政治や行政の重要ポストに一定以上の比率を占めるように誘導するような政策についても是非が論点となっている。
さらに定住外国人の権利とかが争点となっている国もある。
あるいは科学技術の発展も政治的争点になることがある。 原発の問題とエネルギー政策において、これからも原発に依存すべきか否か。 原発だけでなく温室効果ガスやリサイクルの義務化の是非、エコロジーや自然環境保護の問題もある。
ここまで見たように現代の政治にはいろいろな争点がある。 「右」「左」や「保守」「進歩」だけでは問題の所在がわかりにくくなる。
軸を分離する
政治の対立の軸を分離してみよう。
まず縦軸に、政府による個人に対する政治的統制の度合いの強弱を表す。 ここでいう政治的統制というのは、例えば個人の思想・信条・表現の自由や職業選択の自由にどこまで規制をかけているか。 また、国家が対内的対外的秩序の維持のためにどれだけコストをかけて警察の規模や軍隊の規模をどうするか、徴兵制の有無といった問題を扱う。 さらに、政府が政治的意思決定をする度合い、逆に言えば市民がどこまで政治に参加できるかという問題、中央政府への権力の集中度合い、といったものを縦軸に置く。
次に横軸に、経済的統制の強弱を置く。 これは政府が市場に介入する度合いの強弱を表すものである。 市場における自由競争を尊重するか、政府にヒョル市場のコントロールを重視するか。 最も左に社会主義的計画経済、最も右にレッセフェール(自由放任)型の自由経済が位置することになる。 冷戦期の左右の対立軸はこの軸だけを扱っていた。
この縦と横を組み合わせた 2 次元の図では次のように政治イデオロギーが割り当てられる。
(画像は「政治学補訂版」より引用)
政治的統制も経済統制も極端に強いのがファシズムやスターリニズムに代表される全体主義。 それを完全撤廃を目指すのが無政府主義(アナーキズム)である。 ただしこれらは極端なケース。
この極端なケースを取り除くと以下の通りに整理できる。 政治的統制経済的統制が共に強かったのがソ連型の社会主義で左上寄り。 政治的統制が相対的に弱く経済的統制が強いのがヨーロッパの社会民主主義やアメリカのリベラル派(民主党政権)であり、左下の方。 伝統的な保守主義は、政治的統制がやや強く経済的統制は弱いという右上の位置。 新保守と呼ばれるイデオロギーでは経済的統制からの自由を強く要求する一方、政治的統制に関してはやや強い。 日本の昔の 55 年体制下の自民党政権は欧米の保守よりは経済統制の度合いが強く社会民主主義により近い位置だった。 また、理論上のリバタリアニズム(自由尊重主義、自由市場主義)は経済的統制と政治的統制も最小限にすることを目指す右下寄り。
政治の保守と革新の対立というのは右上と左下の対立だったと見なせる。
さらに、もう 1 つ軸を足して 3 次元にすると、文化的社会的な統制の度合いというのを追加できる。 文化的統制が強いとは、その政治社会が伝統的に維持してきた宗教や価値観・道徳観、職業倫理を保持することを求め、また男性と女性、年齢の長幼などの社会的な役割を固定化しようとする傾向が強い。 そして、これの規制を行うのが政府ではなく社会を構成する共同体そのものや宗教組織について、政府が社会的規制を黙認するかどうかという形である。
この文化的統制が極端に強い体制として、宗教原理主義が政治権力を掌握したり、極端なナショナリズムに基づく体制などがある。 逆にラディカルなフェミニズムや多文化主義は、この文化的統制を可能な限り撤廃することを志向する。
(画像は「政治学補訂版」より引用)
この 3 次元のモデルで政治的イデオロギーを分類すると見通しがよくなるだろう。
政策対立軸上の政策選択について
対立軸が 1 次元の場合、人々が分布している中で各党が人々の支持を求めて争うと、各党はそれぞれ自分の政策を真ん中の方に移動させることで得票を増やすことが考えられる。
(画像は「政治学補訂版」より引用, P 党と C 党とその中心位置の M)
この 1 次元モデルでは政策対立軸上の中位投票者の考え方に近い政党が勝利することになる。 選挙で争う政党の政策はお互いに似てくることにもなる。
これはダウンズという政治学者が主張した空間競争モデルといわれるもの。
しかし、3 つの政策対立軸に基づいて判断する場合は、中位投票者について一番望ましい政党が選ばれない可能性もあるという話が出てくるらしい。 これが投票のパラドクスと呼ばれる問題で、コンドルセによって発見された。 アローがこのような多数決で物語を決定する困難さを一般可能性定理として証明した。
また、人々の意見の分布自体を政党や政治家や様々な団体が人々に働きかけることで変更しようとすることもある。 政治の決定を単純な多数決の問題とするのは難しいかもしれない。
感想メモ
そもそも私は全く政治とかに興味なさすぎて、「右」「左」が正確に何を意味しているのかをちゃんと把握できていなかった。 何となく右は保守的で旧来からの日本を好きそうだなあ、とか、左はもっといろいろ権利とか重視しているんだろうなあ、みたいな雑な感覚はあったけど。 そこらへんをちゃんと整理されたのが非常に良かった。
左と右が社会主義と資本主義の対立と重ねて理解された時代もあったが、今では必ずしもそうとは限らないねという話とか、2 次元で政治イデオロギーを整理する話とかはだいぶ整理されて良いように思う。 二次元の図の「政治的統制の強さ」が何を意味しているのかはちょっと難しく感じたが。 一応どれだけ政府が力を持って規制とかを行ったりするか、そして軍備などをどのくらい強化するか、といった軸だと認識しているが。。。
この整理を見ると自分はだいぶ左寄りの考えなのだとは思う。
縦軸については政府がいろいろ規制したり個人の思想信条を統制する方向は反対したいし、それこそ保守層の言う日の丸とか君が代をありがたがる考え方はあまり理解できていない。
横軸については富は再分配する方向が望ましいとは考えているし、社会福祉は政府が力を持ってちゃんとやっていくべきと考えている。 平等と公平の画像とかがネット上で出回っていたりするが、あのように公平な社会を目指していくべきだと考えている。
そういう意味で私の思想は 2 次元の図では左下の方に位置しそうではある。
一方で左派にも一枚岩ではないよなあと感じる。 特に SNS 上とかの左派の著名人とかは自分とはあまり相容れないなあと感じることも稀にあり。
公平な世の中を作るべきだと思うし、その為に政府が力を持って働きかけていくべきだ、とは考えている。 一方で、じゃあどのように力を働かせれば公平になるか、というところは明らかではないと感じている。 「こうすれば OK」「こうしさえすれば世の中は全て良くなる」みたいな銀の弾丸は存在しないので、どうやって行けば良いかというのは難しい。 さらに言えば、政治というのは時間がかかるもので過去の流れからの慣性が働くので、仮に理想状態が定義できたとしても簡単に明日からその理想状態にすれば良いじゃんとは言えない。 理想状態にどうやって持っていくかというところ自体が非常に難しい課題でもある。
そして、政府が力を持って公平にすべきという主張で、政府が力を持つことを認める立場なので、場合によっては特定の団体などにコントロールされてしまうと、特定団体の私欲のためにその公平を目指すはずの理想が使われてしまうこともあると考えている。
例えばフェミニズムで女性が社会進出すべきだ、という意見があった。 これは思想としては非常に良い意見だと思うが、その結果として夫婦共働きしてようやく家計が成り立つようなそういう社会になっていて、社会としても共働きする前提で給与とかその他の具合が考えられるようになっているように感じる。 これは、フェミニズムの思想を労働力を搾取したい人たちにコントロールされたような側面もなくはないのではないかと思う、みたいな話を友人としたりもしたことがある。
またフェミニズムはなかなか厄介な問題で、特に女性側から見たらどのように見えているかわからないが、フェミニズムをやたらと肯定する男性の胡散臭さが男性目線から見ると気になったりもする。 やたらとフェミニズムを推し進める男性の中には、そうやって女性の権利を主張する側につくことで、自分が男性の特権を剥奪されるのを避けたり、男性の既得権益を糾弾されるのを避けたいだけでそのためにフェミニズムに擦り寄っているのではないか、と見えるような動きをしている人もいるように感じている。 あまり誠実にフェミニズミに向き合っているわけではなく、擦り寄って女性にお目こぼししてもらうために媚びているだけに見えるような、あるいは自分は他とは違うというための道具として使っているような人もいるようなというか。。。
主義主張がそのまま本来の目指すべきものを目指したい人たちだけによって支持されているかは多くの場合微妙なところだ。 大元の主義主張としては良いものだったとしても、いろんな立場の人が自分の立場のためにそれらの主義主張を利用することで腐っていくことも多々ある。
そういう意味で、左的な考え方はいろいろな危うさをはらんでいるし、「こうすれば世の中は絶対良くなるのに、一般人はその良さに気づけていない」みたいなまわりの人を見下しつつ自分は優れた思想を持っているみたいな感じになっている左派の人とかを見ると相容れないなと思う。
そしてこれは右側の人たちにも一枚岩ではないという点で同様のことが言えるのかもしれない。 右と左でそれぞれいろんな考えの人が居るのだろうなあという気はする。
この章のおかげで、私自身はどちらかといえば左側の考えを持っていることをちゃんと自覚したし、さらにその中にもいろいろな難しさはあるよなあというところまで思いを馳せたりできた。 対立軸を最初に掴むという意味で、いろいろな対立の軸を見せてくれたのは非常に政治のとっかかりとして掴みやすかったように思う。
今回はちょっと読み進めるのが遅くなってしまったので、次の第二章はなるべく早いうちに読みたいなあと思う。 シルバーウィークだし、読書する時間もあるんじゃないかなあという気がするけどどうなることやら。