私は日本ならではの文化にもとづいて創作するべきか?
創作において「欧米の文化的植民地支配を脱せよ」という話をちょっと前に読んだ[1]。 これについてまた考えてみたりしたのでメモをする。
そもそも私が日本人だからと言って即座に日本ならではのルーツに基づいた話ができるかというとそうではない。 私は日本の文化について全然語れるほど知らないのである。 そんな中で日本の文化伝統を語るような創作をするのは詐欺師のようなものであり、あまり良いことではないように思う。
そもそも文化的ルーツを大事にするという話に違和感がある。 特に欧米の人たちのようなメジャーな文化圏の人たちが「あなたたちはあなたたちにしかできないものを作るべきなのよ」と本気で言ってくるのは、やはり何かしら気持ちが悪いと思っている。
自分たちのルーツを押し出すべきだというのが、欧米の価値観を押し付けずに様々な価値観が評価される世界にしていくべきだという素晴らしい目標を掲げて話されているからあまり正面切って反対しにくいが。 その実、欧米のメジャーな文化圏にいる人がマイナー文化圏の味を味わいたいというだけなのでは? あるいはそのマイナー文化圏を大事にしているということにメジャーな文化圏の人が酔いしれているだけでは? そんな疑いが拭えない気がする。
例えば、少数話者の言語の話者のコミュニティに対して「ぜひその言語と文化を大事にしてほしい」みたいなことを言ったらそのコミュニティの人から「いや、子供には英語を教える。英語を話せないのはあまりに大きい機会損失だからだ」という旨のことを言われたという話を X で見かけたけれども。
これと似たような構図があるように思う。 メジャーの人たちが大事にしたいとか言ってその文化を大事にしろよと押し付けてくるけれども、当の本人たちがその文化を売りにしたものを作りたいと思っていないならそれはあまりに傲慢な押し付けでしかないのではないか?
そして「マイナー文化も大切にすべき」というお題目を達成する喜びを得るために思想を押し付けているという状況であるにもかかわらず、そのお題目の「マイナーな文化を大切にする」とか「欧米文化圏を押し付けない」とかは良い行為であるとされているから、ひどく傲慢な押し付けをしているのにそのことに気がつけず余計ひどいことになっていることもあるのではないか?
当事者が何をしたいと思っているかを無視して自国の文化を誇るべきだと押し付けてくるのは気分が良くない。
日本人の当事者である私は何が作りたいだろうか? そもそも日本人だからといってすべての日本人が日本の伝統に基づいた創作活動をしたいのかというとそうではない気もする。
禅だとか侘び寂びだとか書道とか浮世絵とかそういう日本伝統文化らしいものを引用したものを作りたいかというと、そういう創作をする人はもちろんいるだろうけれども別にすべての人がそういう創作をするわけではないだろう。
これまでの日本の創作の中には欧米のスタイルを取り込もうとしてきた流れがあるのは、それは日本の創作をしている人の間で欧米のスタイルに憧れとかがあったからだろうし。 日本人の当事者がやりたいことがそれなのに、それをよそ者が欧米化はよくない流れでありもっと自国のスタイルを大事にしないと指示してくるのは何様だという気がする。 本来の日本で創作する人が持っていた欧米のスタイルを取り込みたいという各々の欲求を、それが間違っていて本来は自国の文化を大事にするべきなんだと言われても、相当上から目線だし何様だという感じだ。 そしてそういう上から目線の何様だというような押し付けをしておいて、その上で自分はマイナーな文化圏に寄り添っているという風を出されると、一体何なんだという気がするよなあ。
欧米スタイルにしないと売れないから本来は欧米スタイルじゃなく自国スタイルを撮りたいのだけど欧米スタイルを取らざるを得ない、みたいな縛られている状況なのだとしたら問題ではあるし、本人が本来はやりたかったその人のルーツにまつわる創作をするというのが望ましいのはわかるけど。
そういう本人が望まずに自分の文化的ルーツを隠さざるを得ないという状況だったならそれに対する反省というのはわかるけれども。 すべての人がそういう風に隠さざるを得ない抑圧された状況だったかというとそうではなく、本人が自由にやりたいことをやっていて本人のルーツじゃなく外国のものに挑戦したくて挑戦していることだってあるだろうに、そういう方向性を全く見ないで自国のルーツを大切にすることが良いことだと押し付けてくるならメジャー文化圏の傲慢な態度だよなあ。
日本人が自分たちがよく知りもしないくせに日本人らしいと言われる文化的な伝統を使っているのを出してもなあと思う。 自分のアイデンティティの補強のためにたいして詳しくもない自国の文化を雑に取り上げるのはあまり褒められたことではないのだろうなあと思う。 例えば禅とか侘び寂びとか、あるいは伝統工芸品だとか浮世絵やら書道やら茶道とかなんだかとか、そういう日本っぽいものを適当に引用して作っていも、本人がよく知らないなら非常に浅いものになってしまう。
そもそも別に私は全く禅に詳しくないし禅みたいな精神でものづくりしたいわけでもない。 本人がやりたいわけでもない、その人の出身国らしさを押し出すというのが良いとされるのだとしたら気持ち悪い気がする。
着物とかも日本人が着るべきだ、みたいな話があるようで日本人以外が着ると文化盗用みたいな話になったりすらするようだが、そもそも日本人の私は着物を普段着ないし着方もわからない。 外部から見てその国固有の文化だから大事にしろ、と言ってくるのはやっぱり何かズレてることがあるんじゃないかなあ。
もちろん私が何かを作るときに、その作ったものが他の文化圏の人から見たら日本的な要素があると感じられることはあるだろうけれども。
例えば私がイラストを描くとしてそのときに描くのは日本っぽいイラストにはなると思う。 そういう本人が描きたくて描いたものが、その人のルーツに基づく審美眼で描かれたものになっているという話なら、それを尊重するという話なら素晴らしいと思う。 そうやって私の作りたくて作ったものから日本人ならではの目線を見出してくれるというのは良いことだと思う。
しかしもっとわかりやすく日本の伝統に則ったものを作れと言われても、私が大して詳しくもない何か日本の伝統を引用した何かを作ったとして、それは嘘であり詐欺であり、あまりに雑なよくない引用でしかないわけで。
そもそもの話として、自分のルーツというのは自身の出身国に結びつけることでもないと思うが。
出身国というのは他者から見てわかりやすいのかもしれないが、そもそもそのアーティストの自身のルーツというのはわかりやすく他者から押し付けられるものではないと思う。
ある国のアーティストならその国の文化というものを表現するべきだ、みたいな立場はやっぱり何様だという気分になってくる。 そもそもその国らしさを表現すべきということ自体が生まれの国とかでレッテルを貼られることじゃないのかなあ。
自分が好きな SF 作家のグレッグ・イーガンもオーストラリアの作家だからといって「オーストラリア的な価値観を持っている小説だ」「欧米にはない太平洋的な価値観がある小説だ」と言われるのを嫌っていたというのをどこかで見聞きした覚えがある。 本人に変えられない出身国というプロパティに対して、この出身国の作家の作品だからこういう味がする、みたいなことを言われること自体がなかなか暴力的よね。
もっとその人個人の幼少期からの体験とか、そういうものに基づいたルーツというものがあるはずで、それは日本らしさではなくその人らしさであるわけで。 日本人のクリエイターが日本らしさを出せることが良いことという言説はやっぱり何か飲み込めないなあという気がする。